先に予約投稿していた記事で、通常通りブログを更新していますが、実は今月頭に愛猫トラちゃん(とらじ)を失くしました。原因は、猫の死因に多い腎臓病。享年9歳と半年で、猫としても天寿と全うしたと呼ぶには早過ぎる死でした。
小さな生き物と暮らすからには、いつか必ずその日が来るとは覚悟していたつもりでしたが、余りに突然でした。ポコもトラも肥満体なものの、それまで丈夫で健康そのものに見え、特にとらじはエネルギーが有り余っているように活発でした。彼の死の一週間前、いえ三日前、24時間前でさえ、こんなに早く別れが来るとは思ってもいませんでした。ただ一週間位前から、とらじの体重が確実に軽くなったのには気付きました。でも太り過ぎの為ダイエットをさせていたので、すっかりそれが成功したものと思い込んでいました。
何故か突然、食べ物の好き嫌いが多くなったのにも気付きました。しかし、普通に食欲自体はあり、排泄にも問題なく、いつも通り元気に駆け回って遊んでいたのです。三日前に、今までポコの分まで奪っていた朝御飯を残すようになり、おかしいなと思いました。二日前には、大好きな鶏のささみを茹でた物も完食しなくなりました。それでも、呼べば喜んで走り寄って来ました。しかし、一日前にはとうとう動きも鈍くなり、大好きな鏡の反射遊びにも反応しなくなり、魚の切り身にも口を付けられなくなり、病気だと確信しました。仕事から帰って来たP太に、すぐに獣医に連れて行って貰いました。猫として若くないのは確かなので、歯に問題がある程度済んで欲しいと願いました。検査を受けると、やはり歯茎が腫れ、腸の調子も余り良くないようでした。念の為、血液検査も受けました。結果については、明朝連絡すると言われました。
しかし血液検査の結果は、帰宅すると一時間後位に知らされました。何故なら、非常に深刻で、言わば最悪の結果だったからです。末期の腎臓病で最早機能しておらず、血液には毒素が混じり、貧血も酷く、明日にでも安楽死させるしかないと言われました。頭が真っ白になり、状況を把握、実感するのにしばし時間が掛かりました。後から知ったことですが、もう苦しむだけの状態なので、本当はその晩のうちに安楽死させることを薦められたそうです。しかしP太は、せめてもう一日だけ家族で一緒に過ごさせて欲しいと断り、翌日再び獣医に連れて行くことを約束しました。
トラちゃんの性格は、一言で言ってしまえば天真爛漫。お調子者できかん気で好奇心旺盛。まるで人間の幼児のように、非常に遊びたがりでした。義理の姉ポコちゃんに対しては容赦なく意地悪で、P太にとっては愛想が悪かったけど、私に対してはベタベタの度を越した甘えん坊。自己主張と独占欲が異様に強く、言わば凄まじい「かまってちゃん」でした。本来猫は勝手気ままで、犬に比べて人間にとっては素っ気ない生き物ですが、そう言う意味ではトラは世話の焼ける子でした。私を母親と信じて疑わず、とにかくポコより目立ち、常に私からの愛情と注目を得ていないと不安で堪らなかったらしく、そんな彼が私も不憫で愛おしくてならず、文字通り猫可愛がりしていました。後々後悔することになるから、出来るだけ彼の甘えっこに応えなければと知りながらも、余りにも情熱があり過ぎて、時々持て余して十分応えることが出来ませんでした。
顔は、多くの猫好きの心をがっちり掴む程可愛く、少なくとも私と暮らした猫の中では、文句無しに一番の器量良しでした。毛皮は、はっきりした綺麗なクラシック・タビーのジンジャー(赤トラ)で、ふんわり滑らかな手触りは極上。ピンクの肉球は、ぷにぷにスベスベ。おつむはいつまで経っても仔猫のままで、「僕、何にも悪い事してにゃいよ」と言うような(ウソばっかり)純真無垢な表情が得意。か細い情けない鳴き声、マヌケで大げさな動作や行動パターンが、どんなに愛らしかったか、言葉では表現し切れません。
トラちゃんの普段の一日は、私が目が覚ました途端、私の顔元に飛んで来て、喉を鳴らしながら顔の周りを踏み踏みし捲くり、更に私の髪を噛み、私を叩き起こす事から始まりました。一日の大半は、私が見える場所で過ごし、金魚のフンのように後を付いて周りました。私が作業部屋の机に向かっている間中、犬のように椅子の足元に寝そべっていました。しょっちゅう「遊んでよ」の合図でみゅうみゅ~と啼き、また時々二本足で立って、椅子に座っている私に手を伸ばし「撫でて」と催促しました。その時の顔は、いつも「うっふ~♪」と満面の笑み。外出から帰宅すると、かなり前から音で気付いているらしく、大抵ドアの前でちょこんと前脚を揃えて待っていました。私がトイレに行く時は、ダッシュで一緒に中に入り、あやうくドアで挟みそうになってしまった事が数知れず。自分も一緒に用を足すか(連れしょん!)、私が用を足している間、ぐるっこしている彼の背中を撫でなければなりませんでした。
私と一緒に裏庭へ行くのが大好きで、「おんもへ行くよ」と声を掛けると、何処に居ても飛んで来ました。一緒にお風呂に入るのも大好きで(さすがに湯船には入りませんが…)、入りそびれると、ドアをノックしてまで入れてくれるよう要求したものです。バスルームも裏庭も、私を独占出来る数少ない場所だったからです。「おねんね」するのは至福の時で、夜10時位から私の脇に引っ付いて、しつこくおねんねの催促をしました。おねんね一番乗りをするのには、命を掛けていました。いよいよ私が寝床に入ると、胸元で長い間うっとりぐるっことフミフミ。とらじの尖った爪が寝巻きを通して体に刺さりましたが、これは受け入れなければならないと思い、拒否出来ませんでした。けれど、寝るのはベッドの端の足元です。ポコがベッドに近付くのを見張る為です。トラにとって、ポコは敵でしかなく、P太さえもライバル視していたようです。彼にとっては、マミー(私)の愛情を独り占めすることが全でした。
トラちゃんの命があと一日しかないと知ってから、私とP太は泣きながらトラちゃんを撫でました。未だ生きている間は泣いちゃいけないと思いましたが、涙が止まりませんでした。その晩のとらじは、普段余り居ない場所に蹲っていましたが、最後には余力を振り絞り、ベッドのいつものおねんねの場所にやって来ました。私達は出来るだけ彼を撫でると、少しだけ喉を鳴らしました。恐らく、それがトラちゃんに出来る、最後の精一杯のぐるっこだったのだと思います。
翌朝、とらじは朝食を強請りました。でももう、液体しか食べることが出来ませんでした。その日は、P太は急遽仕事休んで、出来る限りトラちゃんとの残り少ない時間を一緒に過ごすことにしました。その日の天気は、トラちゃんの好きな晴れではなく、どんより重暗く寂しい曇天でした。午前中トラちゃんは、裏庭が見える窓から、バード・ウォッチングをして過ごしました。私の顔を見上げてニャアと啼き、「おんもに出たい」と要求しましたが、適えてやる訳には行きませんでした。きっとトラちゃんは、動くのは辛いけど、明日もまたバード・ウォッチングなら出来ると思っていたことでしょう。早く前のように元気になって、美味しい物を食べたいと願い、暖かい季節になったら、またマミーと大好きな「おんも」で遊ぶのだと信じていたことでしょう。でも彼には、次の季節どころか明日なんて日は、永遠にやって来なかったのです。
獣医に連絡して、その時は6時だと決定されました。ポコは、トラが明らかに病気の臭いをさせているのに気付き、更に私達が泣いてばかりいるので、不安になったらしく、しばらくベッドの下に隠れて出て来ませんでした。鮮やかなピンク色だったとらじの鼻は、その日は貧血で真っ白になって行きました。P太が確認したところ、呼んでも光を当てても反応はほとんどなく、痙攣を起こし掛けているようでした。以前小太郎と言う猫を、やはり腎臓病で亡くしたことがあるので、この後もし放っておいたらどうなるのかは分かっていました。そのうち発作を起こし、苦しみながらショック死してしまう直前の状態です。猫のような小さな生き物は、透析には耐えられず、点滴か注射で多少延命させることは出来ますが、腎臓を治癒すること自体は出来ません。
その後もトラちゃんは空腹を訴えたものの、最後にはもう水さえ飲むことが出来ませんでした。でも最後まで、階段を駆け上がることが出来、トイレにも支障ありませんでした。未だ多少抵抗する気力のあるトラちゃんを、キャリーケースに押し込んで獣医に連れて行くのは、トラウマになる程辛かったけど、最期は全く苦しむことなく穏やかに逝きました。軽くなったとは言っても、ガリガリではなく未だこんもり丸く、やつれてもおらず、死んで尚、顔は非常に幼い愛らしいままで、毛皮はふわふわでした。
トラちゃんが、もっともっと生きて、ずっと私のそばに居たかったのは、疑いようもありません。マミーを独占することが、彼の夢でした。年齢的に言って、4歳年上のポコちゃんより少しでも長生きすれば実現出来たのでしょうが、結局一生適いませんでした。何故もっと早く病気に気付いてやれなかったのか、今となっては悔やんでも悔やみ切れません。トラちゃん最愛のマミーのくせに、彼を苦しみから救えなかったのです。しかし、猫の病気は非常に見付けにくく、特に腎臓病は先天的な場合も多く、手の施しようがないそうです。獣医さんからも、恐らくトラのキャラクターで、長い間不調が隠されていたのだろうと言われました。
太陽のように強烈なキャラクターで、まるで私があの子無しで生きて行けなくなるよう、日々自分を売り込むことを必死に努めていたような猫でした。いつも私の視界の中に居ないと、気が済まなかったトラちゃん。彼の居ない生活に慣れるのには、ひどく時間が掛かると思います。何を見ても聞いても、何処へ行っても、彼を思い出して涙が出てしまいますが、あのぬくもりや感触が思い出せなくなるのは、もっと辛いのです。
只、たまちゃんを失くした時と違い、ポコちゃんの居るのが、随分慰めになっています。彼女は、泣いている私の顔を心配そうに覗き込みます。13歳にしては、とても健康的で元気です。結局とらじとは、最後まで仲良くなれませんでした。どう見ても一人っ子を望んでいるポコなので、彼女の生きている間は、余程の理由がない限り、もう家族は増やさないつもりです。トラの分も、ポコを大事に幸せにしたいと思います。
そして、泣き止まない私を見て、仕事が忙しいのに翌日も急遽有給休暇をとって、遠出に連れて行ってくれたP太にも感謝し切れません。これ程忍耐強く行き届いた夫は、中々居ないと思います。
こんな長い文章を最後まで読んで下さり、また今までとらじに関する記事を読んで下さって本当に有難うございました。あの子は、毎日が楽しくて仕方ないと言った感じでした。尻尾の先の一本の毛にまで、生きる喜びが溢れていました。彼と暮らした約8年間は、私達夫婦にとっても抜群に濃厚で幸せで楽しい日々でした。あの子と出会えて家族になれた奇跡は、本当に宝物です。トラちゃんは、猫(にゃん)生を全力疾走で生き抜き、私を全身全霊で愛してくれました。母親冥利に尽きる、あれ程ベタベタの甘えん坊猫には、もう二度と出会えないと思います。彼のくれた沢山の幸福に、感謝し切れません。今はただ、トラちゃんがマミーとおねんねしている最高に幸せな夢を、永遠に見続けていると願うばかりです。
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by piyoyonyon
| 2016-12-23 15:37
| 動物