先月の27日、とうとう愛猫ポコちゃんが亡くなりました。肺癌か結核の疑いで動物病院の検査入院から戻って来て、大体2ヶ月が経っていました。結局病因は突き止められませんでしたが、両方の肺が重度の感染症に蝕まれているのは確かで、もう治療の施しようがないと言われていました。危惧したよりは長く生きられたとも思う一方で、やはり奇跡が起こって治るかも知れないと言う希望は、最後まで捨て切れませんでした。今日は丁度もう一匹の愛猫
トラちゃんの一周忌になりますが、結局1年の内に愛する子供達を二匹とも失いました。
死の四日前から、何故かポコは、目を見開いたまま閉じなくなりました。目の前に手を翳しても、全く反応がありません。視力がなくなったのか、それとも瞼の神経が麻痺して閉じられないのかとも疑いましたが、私達の姿を目で追って喉を鳴らす事もあるし、目の周囲を撫でると目を閉じます。それでも自力で結構あちこちへ移動し、爪とぎもして、窓辺でバード・ウォッチングをしては「うにゃにゃ」と興奮して啼くこともあり、御飯は今まで通り食べていました。
死の一日前も、同じように行動してはいましたが、水ばかり飲んで、食事は全く取ろうともしませんでした。その日の夜、今まで入ったことのない、混み合ったオーディオ機材の後ろの狭い隙間に潜り込んで行きました。良く「猫は死に際を人に見せない」と言います。病気の猫が外出したまま、帰って来ない事が多いからです。これは、余程具合の悪くなった猫が、誰にも構われたくないので姿を隠したがる為と言われています。このままじゃ、ポコちゃんが其処で死んじゃう。私はP太に、ポコを引っ張り出すように言いました。しかし彼はゲームに夢中になっていて、狭過ぎて其処からは出せないし、彼女の居たい場所から無理矢理移動させるのは、余計ストレスが掛かって可哀相だ、などと言います。私は怒って、オーディオを蹴散らしてポコちゃんを引っ張り出しました。
しばらくして、突如ポコは苦しみ出し、今まで出した事のない妙な啼き声を何回か上げました。しかしすぐに落ち着いて、生の魚の切り身を与えると、凄く喜んで喉を鳴らして結構沢山食べました。その魚は、英国の急激なインフレで40%も値上がったので、しばらく買っていなかったのです。もっと早く気付くべきだった、明日は魚の追加を買ってこなくちゃ、と思いました。
その晩は、一階のラジエーターの側に暖かい寝床を用意していましたが、気が付くと、私の居る二階の作業部屋にポコが入って来て驚きました。二階へ上がることは、もう体力的に二度と出来ないだろうと思っていたからです。そのまま床にバタッと倒れると、やはり階段を登る事に余力を使い果たし、酷く息切れしてしまったようで、また苦しんで啼き叫び始めました。私はただちにP太を何度も呼びましたが、ゲームに夢中になって聞こえもしないし中々来ません。もしこのままポコが亡くなったら、私はプレステを叩き壊すつもりでしたが、しばらくしてポコは落ち着きました。
いつも私達のベッドの横に置くドーム型の猫ベッドでは、最早寝る事も出来ない程弱っていたので、その隣に平たいクッションを置き、フリースを敷いて湯たんぽを添えて寝床を拵え、そのすぐ脇に御飯と水も用意しました。しかし、自分から移動して行ってしまいました。翌早朝、ポコは私の作業部屋の机の下に横たわっていました。撫でるとゴロゴロ喉を鳴らしましたが、その体に障って、私もP太もギョッとしました。凄く体温が低い。今までポコは、普通の猫よりも体温が高い猫だったらこそ、専ら暖かい場所には一際拘っていたのに、こんなに冷たい体では、最早暖かさを必要としない訳です。今日がポコの最後の日だと、二人とも悟りました。再び数度啼き叫びましたが、また落ち着きました。ドーム型ではない、普段一階で使用している猫ベッドを持って来て寝かせると、既に抵抗する体力もなく、そのままベッドから一度も起き上がる事はありませんでした。
生憎その日のP太は、重要な会議の為にロンドン東部に出張で、割と朝早く出掛けなければなりませんでした。P太が去った後、ポコは9時半頃に再び啼き叫び始めました。やっと息が十分安定したように見えた時、そっとポコの体を撫でると、プリュッと嬉しそうに応えようとしました。しかし、それが返って負担を掛けさせてしまい、再び苦しんで悲鳴を上げ始めました。今までよりも長く継続的に啼き叫んだので、ああ、これでポコちゃんは本当に逝ってしまう…と分かりました。私はポコの体を撫でながら、一番優しい声でポコの名を呼び続けました。遂に啼き止むと、荒い息は徐々に消え入るように弱々しくなって行きました。すっかり息が止まると、何度かしゃっくりのように小さく体を引き吊らせました。それが止まっても、しばらく腹部は少し動いて呼吸しているように見えました。いえ、最後は私自身の視点が酷く揺れていたので、只幻影を見ていただけかも知れません。「ポコ、助けて上げられなくて御免ね。でも良く頑張ったね。最後までとっても良い猫ちゃんだったよ。大好きだよ、ありがとう」と私はポコに言いました。午前11時頃でした。
その午前中は暗い曇りの天気でしたが、正午頃に陽が差しました。しかしポコちゃんは、大好きだったお日様の光を待つことはありませんでした。獣医で安楽死させたたまやトラと違い、家で亡くなったので、庭から未だ咲いているバラやハーブを摘んで来て、猫ベッドを棺に見立て、お気に入りのネズミの玩具と一緒に、ポコの周囲にお供えしました。その上を愛用のブランケットで覆うと、開ける度に花の香りがふんわり漂いました。私から連絡を受けたP太は、会議が終わると早引きを取って急いで帰って来ました。その後、二人でペット火葬場にポコの遺体を連れて行きました。
弱って歩くのがよろけるのは私達に見せたがらず、最後まで私達のナデナデに出来るだけ応えようとし、最後の晩も自力でトイレを使い、最後の最後まで自分の意思で行動し、「猫ながらあっぱれな最期」と言うのに相応しい、本当に気高い立派な死に様でした。最終的にはガリガリだったものの、それ程悲壮な状態には見えず愛らしいままでした。最後の一ヶ月位は自ら毛繕いも出来ませんでしたが、その割に毛並みは綺麗なままでした。しかし死の間際まで意識がしっかりしていた分、非常に苦しませてしまいました。もし寝たきりの朦朧とした状態だったら、獣医に連れて行って安楽死を選択したでしょうが、あんなに最期まで意識がはっきりしていたのでは、ましてあれ程必死に生きていたのだから、やはりポコの一番嫌いな獣医に無理矢理連れて行って一生を終らせるのは、可哀相過ぎて出来ませんでした。どう考えてもポコは、死ぬまで愛する我が家で過ごすことを望んでいただろう、とは確信しています。只、例えその日を乗り越えられたとしても、次の日はやはり獣医に連れて行って安楽死を依頼するしかありませんでした。
ポコの性格は、勝気で頑固で気位が高く、意外と繊細でした。なのに、動作はガサツでケタタマしく、大きな横広がりの顔にまんまる目の表情はひょうきんでした。私は、そんなポコの牝猫らしくないところが大好きで運命を感じ、養女ではなく血の繋がった娘のように思っていました。感情表現がとてもはっきりしていて人間ぽく、言葉を話せないのが不思議な程でした。言わば天性のエンターティナーで、一緒に暮らすのが本当に楽しい猫でした。鼈甲色はイギリスでも余り人気のない猫の毛色ですが、私達夫婦は専らポコを「世界一可愛いサビ猫」と呼んで、親バカを発揮したものです(「世界一でっかいサビ猫」とも)。ポコは猫にしても我が強いと思っていましたが、最後まで精一杯明るく振舞い、私達の愛情に応えようとし、本当はとても思いやりの溢れる子でした。今更気付いたことが、悔やまれてなりません。最期の悲痛な声を上げて苦しむポコの姿は、脳裏に焼き付いて離れませんが、きっと今ならポコちゃんはこう言うでしょう。「マミー、病気のポコニャンじゃなくて、元気でダイナミック・ボディだった頃のポコニャンを思い出して欲しいにゃん」と。
写真の最初の4枚は、死の4日前の、私にとっては最後のポコの写真。その次の5枚は、病院から戻った後の10月。残りの3枚は、P太に寄る、ポコが未だ健康で元気一杯だった今年1月の写真です。たまちゃんやトラちゃんを失くした時に比べると、今の気持ちは異様な程落ち着いています。もしかしたらポコちゃんが結核で、もう一生病院から家に戻って来ることは出来ないと言われていた時は、気が狂いそうな程悲しみました。あの時の悲しさに比べれば、例え僅かな間でも、今後再びポコと暮らせるのは十分幸せだと痛感していたせいかも知れないし、単に悲し過ぎて感覚が麻痺しているだけのようにも感じます。しかし今でも、ポコの姿が家の中の何処にもないのが奇妙に思えたり、賑やかだったポコの音が聞こえる錯覚を感じたり、ポコの為にドアを少し開けておかなくちゃとか、今夜は寒いからどうポコの暖房対策をしよう、どうやったらポコにもっと御飯を食べさせられるかとか、つい考えてしまい、途轍もなく寂しいです。はた迷惑な朝の暴動でさえ、今では幸せだったと感じます。病気で静かになってからも、彼女は私達にとって計り知れない大きな存在でした。一階のソファで寝るのは、寝返りが打てないし中々トイレにも行けなくて大変でしたが、ポコが喜んでおねんねしてくれたことが、彼女との最後の最高の思い出です。
動物と家族として暮らす以上、悲しい別れは必ずやって来て、こればかりは避けようがないのです。何度経験しても、決して慣れるものではありません。今まで一緒に暮らした猫の中には、失踪したまま結局戻らなかった猫も居れば、交通事故で突如亡くなったり、僅か一歳で病気で死んだ子も居ます。それでも、私は保護猫のお母さんになる事は絶対に止めません。別れは辛いけれど、それとは比べ物にならない程沢山の幸福を、猫達は我々に与えてくれるのだから。
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by piyoyonyon
| 2017-12-06 15:33
| 動物